スピード雑感
リスナーのスピード感覚に合わせて、世界的にヒット曲が短くなっていることにお気付きでしょうか。
ある調査によれば、近年ビルボード・ホット100の曲の平均的な長さが5年で1割ほど短くなり、この傾向は加速しているとか。これは音楽ビジネスがストリーミング・サービスにシフトしていて、時間短縮のプレッシャーがあること、アーティストへの支払いが曲の長さとは無関係に再生回数次第になっていることなどによるようです。ながらリスナーは曲が3分以上になると次の曲に飛ばすし、曲のイントロは短くなり、フェードアウトするエンディングも流行らないなど、感性の世界がせわしなくなっている感じです。
ビジネスでも、IT分野でアジャイル開発が言われて久しく、金融では資本の移動速度が加速度的に速まるなど、今さら言うまでもなく、至る所でスピード重視の時代になっていますね。一方で、行き過ぎを抑えるような動きもあり、金融市場では高速取引(HFT)に一定の歯止めをかけるべく、世界の取引所で投資家の注文から執行までの時間を遅らせる「スピードバンプ」という仕組みが導入されているようです。またスピードに関連する警鐘として、「あまりに急速な成長は組織を脆弱化する」というドラッカーの指摘もありました。
今日までコンピュータのスピードは驚異的に向上し続けています。この背景には、「そろそろ限界」と言われながらも、半導体の集積密度が18~24カ月で倍になるというムーアの法則(1965年~)があります。はるか昔の私的な経験では、学生時代にマシン(トランジスタ化初期で、今なら玩具以下の処理能力)をデバッグモードに切り替えてスローダウンさせ、ランプの点滅を目で追ってプログラム・バグのエンドレスループをチェックするなど、のどかな頃もありました。いまは世界一になったスパコン「富岳」などハードの圧倒的な処理スピードを活かす人間の能力・才覚が問われる時代になり、この先の量子コンピュータでもスピードの挑戦が続きそうです。それでも、いずれはエネルギー消費面や動作の安定性などからスピードの限界が見えてくるのでしょうか。
「スピード」を特徴量、特性として評価することもあります。銀行等はオンラインのキーボード入力スピード、スワイプやタップのパターンなどを指紋や生体認識のように不正対策の指標として使うことも。カジノでは、顧客がスロットマシンのボタンを押すスピードなどを記録して、顧客の行動予測や費用対効果の高いキャンペーン、マーケティング施策を立案するためのデータにしているようです。
スピードは時間と表裏一体です。かつてのベストセラー「ゾウの時間 ネズミの時間」で本川達雄氏は哺乳類の心臓の鼓動スピードと体重の関係を取り上げ、動物のサイズごとに生理的時間の進み方が違うので、心臓の拍動を時計の刻みとすれば、ゆっくり動いて物理的に長命のゾウも、忙しく動いて物理的に短命のネズミも生理的時間では同じだけ生きて死ぬ、と言います。このように動物がそれぞれ独自のペースをもつならば、生物としての人間も本来のペース=スピード感をもつはずです。そこで、人の身体の時間感覚が変わらないまま、社会のスピードが速くなった現代は、人にとってストレスがたまりやすいと言えそうですね。(かつて、技術革新など変化の激しさを例えて、人間の七倍速で生きるイヌのように速く生きないと、日々進歩する技術には追い付けない、という意味で「ドッグ•イヤー」が唱えられたこともありましたが・・)
人が接する「スピード」からは、生理面、心理面に影響があります。少し前の英国での調査によれば、ドライブ時にテンポの速い曲を聞いていれば赤信号を無視しがちで、事故率は2倍とのこと。一般的に60BPM(Beats per Minute)を超えるテンポの曲を聞くと心拍数と血圧が上がり、ダンス音楽では特に顕著だそうです。ただし、BGMとしてのクラシック音楽ではテンポとは別に、音数が多く音の強弱が繰り返されると「危険な場合」があり、ワーグナー「ワルキューレの騎行」やムソルグスキー「禿げ山の一夜」などが危ないと。
群れをなす人々のスピードからも特徴が見られます。人が密集すると歩く速度が遅くなるのは当たり前ですが、その程度を調べると、歩く人の密度が1人/㎡ならば自由な速度で歩けて、密度が2割増すと追い越しが困難になり、歩くスピードは急に低下し始めるそうです。車の渋滞についても「走行車はなるべく今のスピードを保とうとする」という慣性の効果などを踏まえると、実際の渋滞発生も説明できるようです。
ノーベル経済学賞受賞者のカーネマン著「ファスト&スロー」では、人間には二つのシステムがあり、スピーディーに自動反応する直感的なシステム1とスローペースの思考に対応するシステム2を使って人は判断すると言います。人の判断は大体システム1に基づいていますが、バイアスなど系統的なエラーが避けられません。(同書では様々なバイアスが詳しく紹介されていますが、具体的な深入りは差し控えます。)
あれこれ考えていくと、社会ではプランA(スピード優先)だけでなく、プランB(スローペース)も求められそうです。そこでプランBで、カネ、時間、空間の「ゆとり」から「心のゆとり」をと考えるならば、さしあたり、ゆったりした社会の姿を「夢想」してみても良いのではないでしょうか。その際、人を仕向けるような「ナッジする仕組み」を試すアイデアを出せれば面白いかもしれません。たとえば米国には、走行車をスピードダウンさせる仕掛けの例があります。それは、車道のカーブに引かれた線の幅が狭くなっていくようにして、ドライバーが走行時これを見ると、非常にスピードを出していると錯覚し、思わず減速するというものです。このように強制せずに誘導する仕掛けが「ナッジする仕組み」で、様々な場面で応用できそうです。
「流れ行く大根の葉の早さかな」は、高浜虚子の有名な俳句です。これを「それがどうした」と言うか、味わい深いと思うか、は主観の問題ですが、時には虚心坦懐に「スピード」を眺めるのも一興ではないでしょうか。
塩田 千幸
【参考資料】
Five ways music changed in the 2010s
https://www.bbc.com/news/entertainment-arts-51061099
取引速度あえて遅らす 「高速業者」への不満解消
https://www.nikkei.com/news/print-article/?R_FLG=0&bf=0&ng=DGXMZO48224220V00C19A8EE9000&uah=DF_SEC8_C3_090
Banks and Retailers Are Tracking How You Type, Swipe and Tap
https://www.nytimes.com/2018/08/13/business/behavioral-biometrics-banks-security.html
池田謙一他「社会心理学」有斐閣(2010)